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個人と分人 「私とは何か」

 平野啓一郎という、まぁ当代売れっ子作家が書いた、平野啓一郎の小説の読み方みたいな本です。そう言うと読む気がしなくなってしまうかもしれないけれど、一応、哲学的なものの見方の一般論にも触れた本になっています。

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 平野氏の小説、それほど読んでいるわけではないけど、あちこちかじっているようなあまり一貫性がないように感じていました。でも、この本を読んで、ああそういうことが書きたいんだね。そのために小説を書いてるんだね、と合点がいきました。そんな本です。

 まあ、よく言われる、「人は色々な面を持っている」ということではなく、ある人と付き合う人格と、その人とは違う人と付き合う人格は違って、そのどれもが自分であるという、そういうことを言っています。まあ、人間は関係性の生き物であるということですね。

 それほど目新しい主張ではないですが、結局、自分の個性などという核があるのではなく、Aさんと会ってる自分、Bさんと会ってる自分、Cさんと会ってる自分、そういった人との関わりの総体が自分であるという、相対的な自分であると理解することで、世の中の生きづらさ、人との付き合いづらさのようなモノの軸をずらしていけば、楽しい人生が送れるよ、そんな感じです。

 まあ、一番興味深かったのは、ネット環境の進化で、例えば、自分の好きな人が、自分の嫌いな人と、ツイッターで仲良く会話してる、なんてのが、見たくないのに見えてしまう。お~そりゃそうだ。

 そんな幼稚な・・・なんて言いそうな人がいそうだけれど、本音を言えば、そうだと思うよ。今までなかった嫉妬やら何やら、そんなものに悩まされたり、仲間はずれになる恐怖から、やたらネットでの自分を作るのに時間を取られたり、ありそうじゃないですか。

 ミスチルの歌詞に「♪ 自分らしさの檻の中でもがいているのは ♪」なんてのがあったけど、そのとおりでしょう。

 イジメの問題も、この「分人」の考え方で、ある程度解消できそうな気もしました。まあ、大人の世界はイジメに満ち満ちているから、子供だけ解決させようとしても、無駄な努力なんだけど・・・。日本はますます右肩下がりに向かっているわけで、イジメもますます栄えていくことではある。どうすればみんな陰湿にイジメ合わずに過ごしていくことができるんだろうね。難しいね、きっと。

 そして、もう一つ重要な提案をしています。それは、コミュニティの融合の問題です。現在、一人の人間が、分人として様々なコミュニティに属していますよね。例えば、大きいものでは仕事場や会社、趣味の団体、スポーツの仲間などです。しかし、これらは互いに全く接点がない。関係ないものどうしは触れ合わないからです。建設会社社員とフラワーアレンジメントの愛好者がであっても、まず共通の話題はないでしょう。

 これは、主義主張のある団体にまで波及していて、国粋主義と、共産主義の信奉者には、接点がありません。そこが現代の問題だとしています。この「蛸壺」状態が蔓延していて、現代はなすすべがなくなっているといいます。もちろん、共産主義の中にも派閥のようなものが有り、いがみ合っています。まちづくり団体も同様です。

 これらを、それより大きな団体や、大きな課題に取り組むネットワークで、統一していこうという動きが出てきていると筆者は言います。そして、そういう方向ではないのだ、と言い切っています。そのへんを、分人という考え方が、何らかの方向性を出していけるのではないかと・・・。そういうことが言いたかったんですね。

 これは具体的に、私たちがやっている、まちミューガイドブックと合致しているような気がします。何か大きな旗印の下に集まるのではなく、全く接点を持たないような活動どうしが、あるもので協力し合う・・・この関係が大切なのではないかと思います。それぞれ思いは違うしね。

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