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生命賛歌でさえこの現実は乗り越えられない!? 「ふがいない僕は空を見た」 

 本当にこういう映画を観るのは大変です。名古屋によく行くのだけれど、今回タイミングが悪く見られなかったわけで、たまたま静岡の親戚に行く用事ができ、静岡でやっていたので、見てきたというわけ。

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 こう言ういい映画を観る環境がないのが田舎の最大の欠点かな。あとは満足してるんだけれどねぇ。

 お話の主人公は、どこかの地方、またはいわゆる「郊外」に住む、高校生。ふとしたきっかけ(ここではコミケ)で、コスプレ大好き主婦と知り合い、不倫関係に陥ります。まあ、お小遣いをもらって、その主婦の言うとおりにコスプレをして・・・といった流れなのですが。

 そして彼や彼女の住んでいる場所の近くには、貧困の象徴としての「団地」があるのです。ここらは本当に象徴として・・・なので、なんだかスラム街のように描かれています。現実、どうなのかな?ここにこの彼の友人が住んでいます。この「団地」、なんだか日本の現状のメタファーにもなってるかなと・・・。

 監督はタナダユキ。「百万円と苦虫女」でも示されていますが、「どうにもならないことはどうにもならない」という冷徹なまでの視点、これが底流に流れているんですね。団地という貧困の象徴(これはまるで階級であるかのように描かれます)から、逃れるには、勉強を頑張って、上の階級に上昇するしかない。あ~切ない・・・けれどたぶん現実。

 そして、彼と彼女の情事の画像や映像が、ちまたに出てしまいます。ここでそれをバラまいているのは、仲の良い彼の友人でもある、団地住まいの高校生だったりする。それもやけにイキイキとやってる。でも、ありがちですよね、こいういうの。多分誰も信じてはいけない、そんな世の中になってきてるんでしょうね。

 で、この友人の高校生は両親は家出し、ひとりで学校に行き、バイトをしながら、徘徊するおばあちゃんの面倒を見ています。まるで○重苦で、ヘレン・ケラーみたいな人生、それも人生のほんのはじめから。もちろん財布の中も、冷蔵庫の中も、いつも空っぽです。

 対して、コスプレ主婦はなぜこういうことをしているのかというのも、描かれます。子供ができないで、不妊治療している。それも本人の希望というより、姑の手前という感じ。姑から、「三年子無しは去れ」なんていう言葉も出てきたりして、とにかくきつすぎる。その主婦は「現実見なくていいから」コスプレしてるんだといいます。まあ、コスプレしている人には、全てではないでしょうが、こういう人もいるのでしょうね。

 あの「桐島~」よりもきつい、今度は大人の世の中の救いのなさが描かれています。

 最後に、その彼の母親(助産婦)が赤ん坊を取り上げる場面が出てきます。普通なら、これが生命讃歌という感じで、わけわからずも、ハッピーエンドという感じなのだろうけれど、そこに流れる冷徹な思想は、「そんなもんじゃ、救われねぇよ」と突き放してるようにも見えるのです。「百万円~」で、恋人との生活を捨てて、旅立つ苦虫女(蒼井優)が、追いかけてきた恋人に結局会えなくて、もしかして彼が追いかけてきてくれるというほのかな希望をちらつかせながら、最後につぶやいた言葉、「そんなわけないか」と同じです。「どうにもならないことはどうにもならない」んですね。

 ただ、残念なのが、あれだけベッドシーンに時間をかけてるのに、夫婦間のおざなりなものと、愛人とのあいだの愛のあるものとの描き分けが平板で、ちょっと説得力がない感じになってること。これほんとに残念なところです。これがきちんと描けていたら・・・日本映画史上に残る映画だったのと思ったりして・・・。もちろん自分のMY映画史上に残る映画です。本年度ベストワンかもしれない。

 R18指定だけれど、あのくらいのラブシーン、今の子供、全然平気じゃないかなぁ。高校生にこそ見て欲しい。そう思いました。

 

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