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「汚れなき祈り」 信仰って迷信や狂信と紙一重

 ルーマニア映画ということで、どんなものなのかなと興味があった。そのうえ、修道院ものということで、静謐な映画かなと・・・。

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 ある孤児院でいっしょだった少女二人が主人公。人里はなれた山の上の修道院で信仰に生きている片方の方に、なんとなく精神を病みつつあるようなもう片方の少女が、訪ねてくる。修道院では、その新しい少女を歓迎していないのだが、その少女のほうも、修道院での規律有る暮らしは窮屈で、次第に精神状態は悪化していく。少女の病みが深まるあたりから、様相がなんだかおかしなものになっていく。

 終盤は、一気に緊張したものになる。少女の病いは悪魔に取り付かれた結果ということになって、そこから一気にエクソシストの世界になってしまう。集団に憑依した狂気というか、いろいろ深く考えていないおばちゃんたち(修道院の尼僧はアホなのか純粋なのか??)の善意というか、そういうものが暴走し始め、次第に手がつけられなくなっていく。

 結局その少女は、善意に起因する、神父や修道女たちのめちゃくちゃな対応によって死んでしまうのだが、そこで描かれているのは、意外に深い。人を救うのは、本当に信仰なのか・・・そのあたり、ルーマニアのキリスト教事情が何かありそうだ。そこを批判しているようにも見える。おかしかったのは、修道院の中は、なんとなく中世の規律で動いているが、外の世界は紛れもない現代。取調べにきた警察官は現代の感覚だ。「神父さん、これはうまくないっしょ」という感じの言葉を発し、現代人らしい無責任さ、無関心さを発揮する。そこのズレがなかなか面白い。


 そして最後、取調べのために連行される尼僧と神父の乗った車のフロントガラスに、隣の車のはね上げた、泥しぶきがまともにかかる。この場面がクライマックスだ。それまでの単調な流れに、冷や水を浴びせるような演出。ここで一気にこの映画が只者でないことが露呈される。泥しぶき・・・そう、決して汚れなき祈りなんかではないのだ。汚れているのだ。現代においては、信仰も何もかも。

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