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景観を守るということ

先日、久しぶりに学校を卒業して、最初に入った会社で同僚だった友人が、たずねてきました。まあ、彼も農業に携わっており(といっても私は自家用、彼は生産農家だけれど)、そういう話に自然となりました。

 そのなかで、今、首都圏近郊で畑作を中心に営農しているのだけれど、長野県のほうにも、第2農場として、田んぼを借り、米の自給(生産者と消費者が一体になった農場を営んでいる)を目指したいとの話になった。試験的に今年は、辰野町の山奥のどん詰まりの田んぼを何枚か借りて、稲作をはじめたんですね。まあ、そういう取り組みのなかで、やはり、水利の問題が出てきて、湧き水を利用しているためになかなか水が回ってこないらしいのです。

 まあ、水路の補修もままならないような山奥でもあるのだけれど、その田んぼも含めて、景観はすばらしいわけです。ただ、今はかろうじて、水も流れ、田んぼも歯抜けではあるけれど、稲穂が頭をたれるような風景も見られるんですね。もちろんそういう風景はある種の都会人の郷愁を誘うわけでもあるのです。

 しかし、その田んぼを耕している人の年齢を聞いてみると、70代から80代、60代だと若手といわれるわけですね。その年代の人たちがかろうじてがんばっている。その人たちがいなくなれば、郷愁の景観も、あっという間に荒れ野に戻ってしまうわけです。そうなんですね、田んぼがあって水路に水が流れているというごくごく普通の田舎の風景も、みんなが耕作をしているから、その耕作のために、一年を通して、水が流れるように、山の中の水路から田んぼの中の水路まで、手間隙かけて補修をしているから、守られてきたのですね。そこを抜きに、「田舎の景色はすばらしい」などという言葉を、発することは出来ないわけで、田舎暮らしの本質もその辺にあるわけです。

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 たぶん、夏休みに、富士見あたりにきて、「涼しいね」なんていっている都会の方には、その辺はわからないわけで、そこらへんが、今後の富士見の景観を守っていくためには、カギになるのだろうなと、ふと思ったわけです。
今日はそんなお話でした。

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