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2013年12月

今年のニュース

 毎年やってるわけではないですが、10大ニュースというほど活動をしていないので、今年のニュースという形で、ちょっと振り返ってみたい感じです。

農水省の助成金:富士見点と線プロジェクトと銘打って町内の農業関係・耕作放棄地対策の活動団体でネットワークを組み、助成金を生かした活動をはじめました。

フットパスガイドブック順調:先日第5号、6号を発行、順調に販売できています。今年度はあと2冊の発行です。

フットパスツアー まあまあの成果:フットパスツアーを3回行い(1回中止)少しずつ参加者も増え、1年目としてはまずまずの結果でした。

フットパスガイドブックのテレビ取材:フットパスガイドブックの取り組みがCATVで紹介されました。

仔ヒツジ最高値で販売:今年はたくさん生まれたのですが、病気で死んだものも多く、気分的に↓でした。が、少数精鋭でしっかり太って、今までの最高値で販売できました。金額的には、いつもの年と変わらずキープ。

直売所順調に販売:直売所「太郎口のお店」順調に販売でき、結構な売上でした。地域に根付いてきたようです。

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こんなところでしょうか。ステップアップゼミの活動は、地味なものが多く、あまり目立たないのですが、大事なことをコツコツやっていく姿勢で、来年もがんばりたいと思っています。では、よいお年を。

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ヒツジの下牧

 下牧と書いて「げぼく」と読みます。放牧してあるヒツジを舎飼い(牧舎で飼うこと)にすることで、本当は、こんなに遅くなく、10月終わりくらいにやるものなのですが、うちでは、そんなに冬の餌を作れないので、もう雪が降るまで、放牧しているのです。

 牧場はあちこち分散していますので、ヒツジを連れてあちこち移動することになります。

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  こんな感じです。

 のんびりそうに見えますが、あしもと凍ってて、ヒツジもあんまりいい気持ちではないでしょう。私も大変です。

 これから、刈り取ってある干し草と、購入した肉牛用の餌とで冬のあいだを過ごすわけです。季節の恒例行事ですね。

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「街場の憂国論」 内田樹

 日本の行く末を考える上で、非常に示唆に富んだ本だ。現在勧められているアベノミクスが、まあ、多国籍企業(=グローバル企業:日本の企業はほとんどこれになっている)が国際市場で『勝つ』ことで、その企業が収益増になり、そういった企業たちが活躍することが、日本人の価値であるのだ、というような一種いびつな価値観で、作られた政策であることが暴露されていく。もちろん国民にはその『富』の分配は、限定的にしか行われず、「我々が収益をあげるために、あなたがた国民はどこまで、『外部化されたコスト(もちろん企業が負担すべきコスト)』を負担する気があるのか」という問いを突きつけてきているわけだ。

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 政府はこんな政策しか立てられない。結局、日本の土地に縛れらざる得ないような人たちは見捨てられ、機動性に高い、日本列島以外のどんなところでも、愉快に暮らすことが出来る人たちに、権力と財貨と情報が排他的に集中していく。機動性の低い、日本語しか話せず、日本でしか生計をたてられず、日本の伝統や風俗習慣の中にいるときしかほっとできない人たちは、低賃金で高品質は労働力を持ち、凡庸な欲望を持つ消費者でいない限り、政策対象から疎外されていくのだ。

 このあたりは、宮台真司などがパトリが云々といっているのと似通ってくるのだけれど、まあ、筆者が言っているように、胴元(銀行やファンド)が寺銭を稼ぎ、賭場に目を血走らせてやってくる素人から、銭を巻き上げているだけというのが、日本経済の身もふたもない状況かもしれない。「貨幣で買えるものが貨幣以外にない」という

状況が資本主義の墓場ならば、今こそ、その時期なのではないだろうか。そんなことを期待してしまうのは、僕だけでしょうか

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富士見の別荘の生き字引

 

 富士見高原の別荘地というと今では町内広範囲をさしますが、昔は、現在の富士見ヶ丘のあたりのことでした。今回、その別荘地の変遷を調べている方がいるという話を聞き込み、その歴史についてお話を伺いました。

 そんな中で、俗に「朝鮮別荘」と呼ばれていた「前田別荘」に住まわれていた前田實子さん。今回、調査の一環として、お話を伺う場所でご一緒させていただきました。

前田さんは現在 93歳ですが、とても若々しく、記憶も鮮明で、おもしろおかしく当時の様子を話してくださいました。

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 前田さんは、戦後大阪へ移り、武庫川女子大学 家政学部の教授として、主に「乳幼児心理学」を担当され、活躍されていました。現在は鎌倉市にお住まいです。

 実家は和歌山で由良染料」という会社を経営しており、その染料は「科学遺産14号」に登録され、景気が良かったので、海軍に戦闘機14機も寄付してこともあったそうです。また連合艦隊が和歌山に寄港した際には、山本五十六を家に招いて歓待した、であるとか、戦争がはげしくなり、疎開を強いられることとなり、長野県の「富士見の別荘へ行け」という事米内光政の列車の後尾に汽車一車両を貸切で用意してもらい、移動したなどなど、なんだかすごいお話が盛りだくさんでした。

 また、地域との関わりとして、富士見では、塩が不足しているというので、貨車で塩を送ることになり、他には、地下足袋、手袋、うどんなども送ったとのこと。塩の代わりに米や野菜などをいただき、別荘の管理人も、地域の方も大変優しくしてくれて、終戦まで気持ちよく生活できたというお話でした

 すごい話ばかりで圧倒されたということですね。

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話題になっているようです 映画「ハンナ・アーレント」

 岩波ホールから始まったこの映画、岩波久々の大ヒットのようです。監督は「ローザ・ルクセンブルク」を撮った監督さん。「ローザ」はなかなか暗い映画で、かつ生涯を描いたものですが、「ハンナ」のほうは、有る事件を中心に、その事件の核心は何なんだといったテーマを掲げて、哲学者(政治学者と本人は言ってます)らしい、生き様を見せてくれています。まあ、じわじわと評判をあげ、広がってきた映画です。その評判では、「悪の凡庸さ」とうたわれてますが、凡人のしょうがない生き方がこの世に災厄をもたらしているのだ・・・そんなことを訴えている映画です。

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 事件とは、ナチスの幹部だったアイヒマンが、潜伏先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関モサドに逮捕(というより非合法な拉致)されるところから始まります。そしてそのアイヒマンの裁判がエルサレムで開かれます。この裁判の傍聴レポを、ハンナが書くことになるわけです。まあ、内容は「エルサレムのアイヒマン」として出版されていますので、そちらでご覧ください。

 で、まだまだその当時は戦後真っ盛りの時期ですから、ナチス=悪の権化といったステロタイプが、なかばあたりまえに展開していました。そんな中、ハンナはそれに抵抗を試みるわけです。まあ、たった一人で。傍聴をしいているうちに、どうもこの裁判は、一種のプロパガンダとして機能しているのではないか、まあ、映像も公開されるわけで、テレビ的な劇場型政治になっているのではないかというある種の疑念が、まず彼女の心に浮かびます。そして、取材を続けるうちに確信に変わってくるのです。その、芯に有る考え方は、「考えろ」「自分の頭で考えろ」ということなんですね。

 世論的には、ナチス=悪という公式がなりたってしまっていて、それに意義を唱えることが許されない「雰囲気」があります。しかし、その判断は、個々の人間が、自分の頭で考え抜いて出した結論ではないのです。「ナチス=悪辣非道な性格の人間が起こしたこと」というステロタイプから自由にならなければ、本当のことは見えないのです。ここで本当のことというのは、かかわった人間が凡庸であったゆえに、役人的にことを運び、善悪の判断や良心の呵責の入り込む余地がなかった、それゆえ、あのような世界史の汚点のような殺戮を行ってしまったのだ、ということなのですね。

 映画としては、まあ普通の出来ですが、哲学的なメッセージは、とても深いもので、ラストにハンナが、大学の講義として、世論への反論を行います。ここがすばらしいんです。その理論的な構築を頭に浮かべながら、自分なりに理解していく・・・ここが快感です。

 このような例は、現在でも枚挙に暇がないでしょう。大きいもの、小さなもの、数限りなくあります。これがある限り、凡人がそこにかかわる限り、世の中から悪は消えないわけです。あ~~あ。ですね。正直。

 1月に松本で上映があります(松本シネマセレクト:1月31日午後14時 17時 19時半:場所は松本市民芸術館)。ぜひご覧ください。

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環境にやさしい暮らしとは

 今年は農作物のできがよく、また、健康上の問題から既成のお惣菜や肉をあまり食べない食生活に心がけるようになったので(といっても、もともとめったに食べていなかった)、我が家の食卓の自給率は非常に高い年でした。

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 また、野菜の食べ方も、今までは、いろいろ作っても、冬に最後の収穫をやるときにそのままにしてしまって、枯れて終わりということも多かったのです。が、今年は漬物をうまくつけることが出来、ちょっと塩分が気になりますが、食卓はとても多様性の高いものになっています。そう、菜っ葉も、高菜と広島菜をそれぞれ漬けてあります。

 さらに、今年は、キムチに凝って、本格的なヤンニョムを作り、結構うまくいっているので、収獲して保存してある大根やカブをカクテキやカブのキムチにして食べています。いつもは割と、カブや大根を保存しておいても駄目にしてしまうのですが、今年はその辺とてもうまくいっています。

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 年をとって、漬物を食べるようになったこともあるのでしょうが、お惣菜に頼るのをやめたことも大きいです。家業のパンの配達時にちょっとスーパーによって、コロッケとかフライとか買ってしまっていたのも大きいのですが、またお惣菜が、食欲をそそるようなものが多いんですよね。今年はその誘惑にのらなくなったのですね(苦笑)。

 我が家では、冬の暖房は薪、お風呂はちょくちょく山に落ちている枯れ枝を集めてと、結構エコな暮らしをしていると思っています。出かけるときは車を使わず、歩きを基本に、電車を使って・・・諏訪には自転車を置いてあるので、諏訪駅を拠点に岡谷や下諏訪には自転車で行きます。

 また衣食住の衣の方で、いろんなものをつぎあてしたり、つくろったりして、ほとんど衣類は購入しません。住宅は自分で建前からあと建てました。まあ、自分だけの世界でのエコですが、こういう小さなことが大事かなと思ってやっています。

 ある本を読んでいたときに、書いてあったのですが、原発だとか、リニアだとか大きなことは目立つので問題にされるけれど、家庭などでしてしまう、「これぐらいいいか」みたいな小さな浪費が実は一番こわい。なぜかというと、小さなことは知らない間に、積み重なるからだそうです。 う~~ん、そうでしょうね。

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フットパスガイド 高島城と諏訪のまち

 フットパスガイドブックも順調に準備が進んでいます。先日、今年度最後の取材を行いました。場所は諏訪市の市街地。高島城のエリアと、中心市街地の国道20号沿いの地区の2つです。「高島城と諏訪のまち」という仮題をつけたこの地区。温泉地でもあり、宿場町でもあり、城下町でもあった諏訪の魅力が詰まった地区です。

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                           写真は真澄のギャラリー

 もともと高島藩は、徳川幕府にとって、江戸から遠く離れた雛の土地として、遠流の土地でもありました。徳川忠輝であるとか、吉良  であるとか、高島藩お預かりという待遇があったわけです。そんな史跡と、宿場の賑わい、また、温泉・湯治場としての賑わい、こういったもので、その時代には大変栄えた街であったはずです。さらに、諏訪大社ゆかりの神社群が、まちのあちこちに点在しています。その神社建築に、大隈流と立川流といった彫刻が絡んで、本当に見所満載のガイドブックが出来そうです。近代に入ってからは、商店街の看板建築も有名ですね。出来上がりが楽しみです。

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フットパスガイド 岡谷三沢取材

 これが今年度最後の最後です。岡谷市の南部に広がる、なだらかな傾斜面、三沢地区です。岡谷から小野宿を通って木曾へ抜ける初期中山道の通っていた地区で、東山道の駅でもあったといわれる、交通の要地です。天竜川沿いは川岸地区、そこからちょっと山手の鶴峰公園の上側が本日の取材地です。結構いろいろな史跡や神社、自然景観が残っていました。独特の山容の高尾山(双耳峰でオダコ、メダコと呼んでいます)、片倉財閥の発祥の地でもあります。また石仏群や、諏訪湖まで見渡せる広大な景観、里山の魅力がたっぷりです。

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 今回、三沢地区の案内をしてくださったのは、区民農園にかかわっている皆さんです。区民農園というのは、耕作放棄地を管理する仕組みです。畑を持たない区民が対象で、小さな区画を分譲(貸す)する形で、貸し出し、耕作放棄地対策としています。ヤギも飼っていて、なかなか人懐こい。こちらもがんばってガイドブック作らねば・・・。

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圧倒的な検証と恐ろしい結末と・・・デヴィット・ハリソン「滅びゆく言語を話す最後の人々」

 

 本の題名が中身をちゃんとあらわしている、著者渾身の非常にすばらしい本です。世界には隣同士の地域でさえ、まったく体系の違った言語というのが存在している場所がたくさんあります。。まったく言葉が通じないということです。総数で、4000もの言語が存在するということらしい。そういった言語一つ一つがその民族(というには規模が小さなものだが、しかし厳然たる民族なのです)の特有の世界観をあらわしている。そういった多様性がかつて世界にはあったわけです。ひとつは英語というもの、またひとつは技術の進歩による『移動』という概念の革命的な進展、こういった要素でその言語がドンドン破壊され、背景にあった民族の文化が失われていくわけです。

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 でもまだ、かすかに残っている。それを全世界をまたにかけて追ったのがこの本なのです。ひとつ、例をあげると、シベリアのトファ族の言葉は、彼らが飼っているトナカイのことを示す言葉を、非常にたくさんもっています。そのひとつ、「トゥーングル」という言葉は、「家畜化し、人を乗せられる、去勢されていない3才の雄トナカイのうち、初めての交尾期を迎えたが、まだ交尾の準備が整っていないトナカイ」という意味があります。自分たちの身近の動物の状態を事細かに分類した言葉が、何十種類も存在するわけです。これが文化でなくて何が文化でしょう。

 言語体系というのは、こういうものなんです。もちろん小さな事として、日本の中の方言なんかも含まれるでしょう。たとえば、生粋の薩摩弁なんて、信州生まれ関東育ちの私はもちろん、宮崎の人にも熊本の人にもわからないんです。これは私も経験しました。

 この滅亡に追い討ちをかけるのが、インターネットやコンピューターの普及です。これを逆手にとって、アボリジニの言葉でウィンドウズを作れなんていう、新手の動きもあるようですが、大勢は、滅亡方向へのバイアスです。

 そんなことを、さらっと教えてくれる、必読本です。

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異常な設定の映画 「共喰い」

 設定があまりに異常なので、一般的な感覚で心安らかには観られないような感じの映画です。しかし、よくやったと誉めたくもなります。その異常な設定というのは、男性がsexに及ぶ際に、女性を殴る癖があるということ。そしてそういう癖の父を持った男性が、その癖を引き継ぐんじゃないか・・・と心ひそかに悩んでるという設定です。で、彼は高校生なんですが、付き合っている女性(もちろん高校生)との間で、その癖が出てしまう・・・そんな流れです。

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 他人の性的嗜好というのは、なかなか語りがたいもので、正常と異常の線引きも難しいことがあります。僕らはたとえば食糞なんていうと引いてしまいますが、そういうマニアもいるわけですし、幼児をかわいいと思い、親の承諾を得て写真をとるなんてのは、常識の範囲内ですが、かわいいからと誘拐したり、ましてや性的対象にするなんてことは、論外なわけです。しかし、そこには明らかな多様性があります。人間の面白いところといっては、顰蹙を買いそうですが、面白いところです。女性を(ここでは妻であるとか同様のパートナーです)殴るということは立派なDVですが、映画や小説の題材としては、ぎりぎり表現することが許される範囲ではあるのですね。

 で、この作品ですが、まあ、よく作りこんであります。その暴力に愛想をつかせて出て行ってしまった母親は、近くの川べりで魚屋らしきものを営んでいます。海に近い川べりで、泥と潮の匂いがぷんぷんしてきそうな、そんな場所が舞台です。なんとなく「泥の河」を思い浮かべてしまうような・・・。母親は片手が義手で、鉤型のようなはめ込み担っていて、ラストの場面でそれが生きるのですが、田中裕子が熱演しています。こういう役、年とともにはまり役になってきてますねえ、彼女。殴る癖を持つ父親役派光石研、売れっ子脇役ですが、何をやって食っているのかよくわからないやくざな父親といったら、この人しかいないでしょう。女性を殴ることで自分を保っているという、哀れな男振りをさらけ出して、すばらしい演技を見せてくれます。

 男の子の役者も、女子高生も芸達者です。彼女に暴力をふるってしまったあとで、二人はしばらく離れているのですが、やはり離れられなくて、再度そういうことに及ぶ際に、彼女が彼の両手を縛り上げて、彼の自由をうばって、彼女が主体的な感じで・・・という場面があるのですが、幼いながらもなかなか美しく、ぎこちない濡れ場を体当たりで演じてくれています。このシーンだけでも、見ものです。

 この原作、芥川賞をとった田中慎弥、あの「もらっといてやる」とのたまった御仁ですが、小説もよいが、映画はさらに独特な雰囲気を出していて、大成功といっていいでしょう。原作者も「やられた」といったそうです。

 おなじく芥川賞の「苦役列車」(西村賢太)も森山  の怪演でいい出来でしたが、最近文学賞物からいい日本映画が出来ていますね。

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火除せの神様 秋葉山

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 浜岡もうでの帰り、火ぶせの神様として当地富士見でも信仰のあつい秋葉神社によってみました。最初は山すその下社でいいかと思っていたのですが、せっかくですので、山頂の上社の方に行ってみました。浜松から天竜川沿いに、信州に入ろうと、車を走らせたのですが、山すそが既に相当な山の中で、そこからさらに山を上るわけで、まあ、信仰とはいえ、昔の人たちはよくここまで詣でたものだと、少し感心。

 そんな秋葉神社ですが、今ではかなり近くまで道路が通っており、歩いて5分程度のところに駐車場もありました。社殿や山門はかなり新しいもので、歴史はあまり感じません。が、結構立派。参道も近年に整備されたようで、たぶんそれまでは、修験者の領域だったのかもしれません。茅野から南下する秋葉街道などもあり、信州ではその信仰は盛んだったこともあり、まあ、行けてよかった・・・と感慨ひとしおでした。ちょうど、お正月用のしめ縄も張っていましたし。

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 ご朱印も押していただき、帰りは、こちらも念願の「兵越」(“ひょうごし”)と読むそうです)の峠も通り、なかなか満足の静岡行きになりました。

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浜岡原発に行ってきました

 冬に仔ヒツジが生まれる前に、慰労もかねて温泉などに行くのですが、今回はかねてから気になっていた浜岡原発まで遠出してみました。まあ、遠かったんですが、こんなに遠いところのものが、たぶん事故があったら当地まで影響があると思うと、やはり恐ろしいものではあります。

 例によって、周辺は社会資本が快適に整っています。東名高速牧の原インターから、原発のある御前崎市までは、国道のバイパスが自動車専用道路となっていて、信号もなく、交通量も少ないので、高速道路を走っているように快適です。御前崎のみなと付近までくると、一般道になりますが、片側2~3車線の分離帯つきの立派な道が、原発を過ぎ、市街地まで数キロ続いています。

 どこの原発でもそうなのですが、その道沿い以外は、荒涼とした荒地のような状況です。ここは海岸沿いですから、砂地で、風が強いので背の低い樹木に覆われています。風車がずいぶん立っていました。まあ、そんなところだからこそ立地したのでしょうが・・・。

 さて、海岸のほうが近づけそうだったので、見に行きました。もともと台風の影響が大きい場所ですから、延々とかなり高い防波堤(人工のものと自然地形的なものと)が岬付近から原発の有る場所あたりまで続いています。風景は柏崎刈羽原発に似ていますね。そこから原発のあらまかな立地を確認して、展示館にむかいました。

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 展示館は原発の敷地内に併設されていますので、なかなか警備は厳重です。もちろん、団体を除けば、そんなに訪れる人もいないのでしょう、入り口からそれとないマークが(警備員が巡回のふりをしたり、受付の人がなにげなく回ってきたりして)資料館を出るまで続きました。もしかして“怪しい”と思われたのかもしれませんが・・・。こんな張り紙がそこらじゅうに貼ってあって、3.11以降ナーバスになっているのがよくわかります。

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展示はこれといった特徴はないですが、原寸大の原子炉内部の模型はなかなか見ごたえがあります。一番は展望タワーがあること。上ってみると敷地内が一望できます。まあ、今回見にきた一番の目的である、『かさ上げ津波よけ防波堤』もよく見えました。撮影禁止なので、外部から近づく方法を上から確認できたりして・・・。

 一度作ったところ、東南海地震での津波の高さがより高く想定されたので、かさ上げが行われています。一度しっかり作って・・・その上ですから、とってつけた感がにじみ出ていました。

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 で、外に出てから、浜岡砂丘のほうに回り込んで、外側から見てきました。こんな感じです。背後に牧の原台地の端っこにあたる高台があります。それと防波堤がつながれば、一種のプールのような形状になります。まあ、とりあえずは大丈夫でしょうが、何で高台に建てなかったのかなぁ・・・。海にこんなに近いのだから、高台でもよかったのでは、と思いました。たぶん自然災害なんてこれっぽっちも考えてなかったんでしょう。戦国時代の築城のほうがその辺は抜かりがなかったんじゃないかな・・・なんて思いました。

 帰り際、資料館併設のお土産やさんに寄って、一番人気の亀(ウミガメ)饅頭を買ってきたのは言うまでもありません(笑)。

 

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漬物ざんまい

 この土地で農業の真似事をし始めて十数年になります。はじめの頃は、冬を前にして、野菜の片づけをはじめる頃に、ずいぶんとたくさんの漬物を漬けました。種類も多かったのですが、量も多かった。何か肩に力が入ったようなそんな感じでした。でも、そんなに作ってもそれほど食べずに、春になるとだめになってしまい、捨てていたように思います。

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 で、最近は、食べるものだけを漬ける、そんな感じになってきました。前のように、これは面白そうだから・・・珍しそうだから・・・といった風ではなく、多少難しい、手のかかるものでも、食べたいものはちゃんと作る、そんな風に変わってきたように思います。で、今年のラインナップはこんな感じ。ラッキョ漬け、赤カブの酢漬け、広島菜の漬物、大根のべったら漬け、カブの酢漬け、ごぼうの味噌漬けなどなど。このあと、白菜のキムチ、高菜漬け、たくあんを作って、終わります。どれも少しずつ作るだけ。春までに食べきるように・・・。

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神宮寺のツアー

 もう1ヶ月近くたってしまったのですが、諏訪大社周辺神宮寺のツアーを行いました。人数的には13名の参加。まだまだ告知が足りません。がんばらねば。

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  ガイドさんは都合で富士見の方ですが、御柱でメドに乗っているような方です。まあ、諏訪大社のガイドですから、そういう勇ましい話が合うわけです。友人の木遣りをうたう方も来てくださり、大社の境内(ちょっとはなれて)で一節やっていただいたり、サービス満点のツアーとなりました。来年度は出来れば、10箇所くらいのツアーを企画したく、チラシを作る予定です。それに会報タイプのチラシ(冊子)も作らねばならないので、年末ちょっとがんばる予定。そんなこんなで年はくれていきます。

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「青いムーブメント」 何もない時代のあがきかも 外山恒一

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世代のはざまのような存在である1980年代は、0年代への橋渡し的に語られがちだ。しかし、高度経済成長が成熟し、バブルを迎えようというその時期は、60年70年に盛り上がった学生運動がさまざまな模索ののちに、市民運動として着地しようとしていた時期でもあるのだ。そしてそれは、日本人はすべてアジアに対する加害者であり、そこからスタートすべきであるという、まあ言ってみれば一種の自虐史観ともいうべき思想を発展させた。これによって、結局、市民運動というものが、「着地失敗」という状況に追い込まれる。かつてのような国民的な動きになりにくくなってしまったのだ。もちろんそれは、経済発展の結果として、意図的に企図されたものでもあるのだ。ここに現れる思想的な諸相を、あの外山恒一が白日の下にさらしている。相結構その目論見が成功しているのだ。

学生運動の延長のようなかたちで、現れてきた高校生の全国的な連帯、主に管理教育の対する異議申し立てなのだが、カウンターとしての、フリースクールであるとか、そういったものが噴出してくる様相を、「ブルーハーツ」という、カリスマ的な人気を誇ったロックバンドと重ね合わせて、見事に切り取っている。その動きがあったからこそ、0年代の旗手たちが活躍できたわけで、この外山の視点は鋭く独特のものだといえるのだ。

外山恒一、ただのお笑い泡沫候補ではなかったんですね。

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