« 富士見の別荘の生き字引 | トップページ | ヒツジの下牧 »

「街場の憂国論」 内田樹

 日本の行く末を考える上で、非常に示唆に富んだ本だ。現在勧められているアベノミクスが、まあ、多国籍企業(=グローバル企業:日本の企業はほとんどこれになっている)が国際市場で『勝つ』ことで、その企業が収益増になり、そういった企業たちが活躍することが、日本人の価値であるのだ、というような一種いびつな価値観で、作られた政策であることが暴露されていく。もちろん国民にはその『富』の分配は、限定的にしか行われず、「我々が収益をあげるために、あなたがた国民はどこまで、『外部化されたコスト(もちろん企業が負担すべきコスト)』を負担する気があるのか」という問いを突きつけてきているわけだ。

Photo_2


 政府はこんな政策しか立てられない。結局、日本の土地に縛れらざる得ないような人たちは見捨てられ、機動性に高い、日本列島以外のどんなところでも、愉快に暮らすことが出来る人たちに、権力と財貨と情報が排他的に集中していく。機動性の低い、日本語しか話せず、日本でしか生計をたてられず、日本の伝統や風俗習慣の中にいるときしかほっとできない人たちは、低賃金で高品質は労働力を持ち、凡庸な欲望を持つ消費者でいない限り、政策対象から疎外されていくのだ。

 このあたりは、宮台真司などがパトリが云々といっているのと似通ってくるのだけれど、まあ、筆者が言っているように、胴元(銀行やファンド)が寺銭を稼ぎ、賭場に目を血走らせてやってくる素人から、銭を巻き上げているだけというのが、日本経済の身もふたもない状況かもしれない。「貨幣で買えるものが貨幣以外にない」という

状況が資本主義の墓場ならば、今こそ、その時期なのではないだろうか。そんなことを期待してしまうのは、僕だけでしょうか

|
|

« 富士見の別荘の生き字引 | トップページ | ヒツジの下牧 »

今週の本棚」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/397928/54310222

この記事へのトラックバック一覧です: 「街場の憂国論」 内田樹:

« 富士見の別荘の生き字引 | トップページ | ヒツジの下牧 »