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話題になっているようです 映画「ハンナ・アーレント」

 岩波ホールから始まったこの映画、岩波久々の大ヒットのようです。監督は「ローザ・ルクセンブルク」を撮った監督さん。「ローザ」はなかなか暗い映画で、かつ生涯を描いたものですが、「ハンナ」のほうは、有る事件を中心に、その事件の核心は何なんだといったテーマを掲げて、哲学者(政治学者と本人は言ってます)らしい、生き様を見せてくれています。まあ、じわじわと評判をあげ、広がってきた映画です。その評判では、「悪の凡庸さ」とうたわれてますが、凡人のしょうがない生き方がこの世に災厄をもたらしているのだ・・・そんなことを訴えている映画です。

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 事件とは、ナチスの幹部だったアイヒマンが、潜伏先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関モサドに逮捕(というより非合法な拉致)されるところから始まります。そしてそのアイヒマンの裁判がエルサレムで開かれます。この裁判の傍聴レポを、ハンナが書くことになるわけです。まあ、内容は「エルサレムのアイヒマン」として出版されていますので、そちらでご覧ください。

 で、まだまだその当時は戦後真っ盛りの時期ですから、ナチス=悪の権化といったステロタイプが、なかばあたりまえに展開していました。そんな中、ハンナはそれに抵抗を試みるわけです。まあ、たった一人で。傍聴をしいているうちに、どうもこの裁判は、一種のプロパガンダとして機能しているのではないか、まあ、映像も公開されるわけで、テレビ的な劇場型政治になっているのではないかというある種の疑念が、まず彼女の心に浮かびます。そして、取材を続けるうちに確信に変わってくるのです。その、芯に有る考え方は、「考えろ」「自分の頭で考えろ」ということなんですね。

 世論的には、ナチス=悪という公式がなりたってしまっていて、それに意義を唱えることが許されない「雰囲気」があります。しかし、その判断は、個々の人間が、自分の頭で考え抜いて出した結論ではないのです。「ナチス=悪辣非道な性格の人間が起こしたこと」というステロタイプから自由にならなければ、本当のことは見えないのです。ここで本当のことというのは、かかわった人間が凡庸であったゆえに、役人的にことを運び、善悪の判断や良心の呵責の入り込む余地がなかった、それゆえ、あのような世界史の汚点のような殺戮を行ってしまったのだ、ということなのですね。

 映画としては、まあ普通の出来ですが、哲学的なメッセージは、とても深いもので、ラストにハンナが、大学の講義として、世論への反論を行います。ここがすばらしいんです。その理論的な構築を頭に浮かべながら、自分なりに理解していく・・・ここが快感です。

 このような例は、現在でも枚挙に暇がないでしょう。大きいもの、小さなもの、数限りなくあります。これがある限り、凡人がそこにかかわる限り、世の中から悪は消えないわけです。あ~~あ。ですね。正直。

 1月に松本で上映があります(松本シネマセレクト:1月31日午後14時 17時 19時半:場所は松本市民芸術館)。ぜひご覧ください。

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