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映画「ある精肉店のはなし」 これは絶対見るべし

 この映画は、ほんとにすごかった。自分の暮らしに突き刺さるほどのラディカルさを持っておるにもかかわらず、優しさに満ち満ちた映画だ。牛を割って(業界では屠殺とは言わない:それも優しさ)その肉を、一片たりとも無駄にせず、その肉を売って生計を立てる。

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  物語は、大阪貝塚市にある屠場のおはなし。各地の屠場がオートメーション化が進むなか、数少ない手作業での屠畜を行っていた屠場だ。行っていた・・・ということは既に閉鎖されているってこと。そしてこの、屠場を利用している唯一のお客が、今回の主役北出精肉店というわけ。といっても、家族経営で、長男夫婦と次男、長女の4人でやっている。主に肉を扱うのは長男、家畜市場で買ってきた牛を面倒みていたのは次男、お店番は長男の嫁さん、おさんどんは長女といった分担で日常が営まれていく。

 

 しかし、この屠場が閉鎖されるということで、この役割にも微妙な変更を余儀なくされる。そのあたりを感情を抑えた描写で淡々と描いている。監督は「祝の島」の纐纈あや監督。第2弾だ。「祝の島」は原発反対のイデオロギーが前面に出た、まるで三里塚映画のようなプロパガンダの香りが強かったが、この映画は、そこから一枚皮がむけた感じで、纐纈監督、すばらしいです。

 

 長男の息子の結婚式や、だんじりの盛り上がり、盆踊りの話などで、徐々に北出さんたちの人生がおぼろげながらわかってくる。もちろん、肉を扱う=被差別の問題も浮き出されてくるわけで、屠畜というデリケートな問題の中に、骨太の人権問題が絡んでくる。監督さん本当に腕を上げています。

 そして、クライマックスは、最後の屠畜。屠畜される牛がトラックで運び込まれる。とってもおとなしい牛だ。次男がさっそく、手入れをする。愛情を込め、毛をすいたり、餌を与えたり・・・。なんとも、優しいシーンだ。

 

 何日かして、いよいよ屠畜の日。屠場と精肉店(の横に畜舎はある)はとても近いので、牛はお散歩といった風情で、嫌がりもせず、普通の市街地の中をひかれていく。私は、屠場にヒツジを連れて行った経験があるので、さすがにスクリーンがぼやけた。おとなしい、ほんとにおとなしい牛、自分の運命がわかっているのかどうか・・・ちょっと判定できない。

 いよいよ屠場に入るのだが、職員がいて、その人たちがやるのかなと思っていたのだが、ここは違った。屠場は場所貸しと獣医による検査だけで、持ち込んだ自分たちでやるのだ。

  次男が牛を押さえて、長男が高く振りかぶって、牛の眉間の急所を鳶口のようなもので一撃する。1回目は外れ、2回目で牛はドッと崩れ落ちた。そのあとは見事な手仕事だ。家族の分担が決まっている。首を切り、放血し、内蔵を出し、枝肉にするためチェーンソーで半身に切る。胃や腸、それぞれてきぱきとさばいていく。差別と表裏一体のすばらしい技術と・・・そんなことを感じさせるシーンだ。

 この映画は、全ての人に見て欲しい。

 長男の一言が良かった。監督がインタビューし、

 北出さん「死ぬまでは、特におとなしい牛なんかだと、かわいそうだなって思うこともある。でも命がなくなってしまえば、それは商品、そう思うことにしている」

 監督「すごいですね」

 北出さん「いや~、そんな牛を美味しいって食べてるあなたたちの方が、僕から見たら、すごいですよ」

 4月に長野市の長野ロキシーで上映がある。

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