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「民主と愛国」 読みごたえ十分

 これまた、例によって分厚い本です。まあ、小熊節とでもいいましょうか。このスタイルは小気味よいとまでいえるでしょう。物語は名著「1968」に至るまでの、戦後の日本の社会と思想状況を丹念に追ったものです。もちろん、その力点は、あの悪夢のような、一億玉砕→戦後民主主義への大転換の考証にあるわけですが・・・。

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  小熊はその本質を、戦争によって刻印された行動様式としてとらえています。「皇道日  本」から「主権在民」に言葉は変わったが、共通語を普及し、反米を唱え、「民族」や「伝統」を賞賛し、「国家目標」を求めるという部分は、容易には変化しなかったのです。そして、そのことによって、戦後というものが、成り立っていたのでもあるのです。その象徴的な言葉が、まったくのうたい文句に過ぎないような「民主」であり、戦中とは違う「愛国」なのです。

 もちろん、敗戦によりそれまでの国家目標、ひとつは皇道日本であり、八紘一宇、大東亜共栄圏等であるのだが、そういった国家目標がまったく失われたのちに、代用品である、国民というものが政治の主体となる「民主」であるとか、真の意味でのナショナリズムを目指した「愛国」であるとかが、戦後の10年あまり、国を動かしていく原動力となっていったわけです。しかし、そのことは結局、何かうたい文句のようなものがないと動けない日本人というものをあらわしているのであり、そこに集中する現象や心情は、戦前からの精神構造と何ら変わるところはないわけなのですね。

 さて、このような日本人は「変わる」ことができるのだろうか。戦後の経済成長に伴う、個人が個人として収入を得ること可能となった状況でさえも、消費力の工場により、結局は国内市場を充実させ、産業を発展させるという「国策」に基づいたものであり、一億玉砕、一億総懺悔と何ら変わらぬ一億総中流であったわけで、都市はもちろんのこと、農村部でさえも、自分の家がよければそれでいいといった風潮を作り出したわけです。

 それでも、小熊は希望を捨ててはいない。「新しい時代に向けた言葉」を生み出すことで、戦後思想が抱えていた、「名前のないものをどう表現するか」という命題に、現代にふさわしい形で、読み替えを行い、答えをしめしていくことを準備せよと言っています。そしてこの書が、その重責を担うために、必読の書だと言っているのです。

 

 果たして、私たちは、その「語る言葉」をもつことが出来るのでしょうか? その正念場に来ているということでしょう。

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