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2014年3月

ステップアップゼミは発展的に解散

 10年近く(組織的になる前も入れると十数年)活動してきたステップアップゼミですが、当初の目的であった、啓蒙的な活動が一定の役割を終えたことと、代表と事務局の間で、目指すところに齟齬が生じてきたことなどで、一旦、組織としては解散し、それぞれ別々の活動としてやっていくことになりました。まあ、ロックバンドで言えば音楽性の相違みたいなところでしょうか。他のバンドのメンバーとコラボをやってるうちに、元のメンバーと一緒に活動できなくなる・・・みたいな、そんな感じでもあります。思えば、いろいろな活動をしてきました。単独の講演会やワークショップ、原村のルン。ネットワークとのコラボでの住民自治講座のかずかず、映画の上映、地元学のワークショップで、小六や木の間にも出向きました。

 まあ、本音を言うと、映画や講演会などはその時はもりあがっても、持続性はなく、自己満足に過ぎず、そのことに虚しさを感じていたということもあります。また組織で動いていると実績ができてきて、活動の内容よりも、実績をひけらかすような方向、まあ平たく言うと、権威的になり、「上ばっかり見ている」ような傾向も出てきてしまいます。スタッフも人間なので仕方ないのですが・・・自戒をこめて。

 今後の活動については、小林代表は「点と線プロジェクト」、事務局下平は「まちミュー諏訪」として活動していきます。点と線のほうはホームページができることになっています。まちミューのほうはこのブログをほとんど事務局がやっていたので、このまま「まちミュー諏訪」のブログとして4月から若干のリニューアルもして、続けていきます。それぞれの活動は、あまり一緒に活動できるようなものではないので、「それぞれ」ということになりそうです。もちろん、なにか関連することがあれば、協力はしていけると思います

 

 

 ブログの方は、今後もよろしくお願いします。

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次々出来上がる校正版 諏訪高島城と岡谷三沢

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 結局年度末に集中すると言うのが、実態なのですが(汗)、校正版が次々出来上がってきています。諏訪高島城のほうは、寒冷すぎて瓦葺に出来なかった板葺きの城、家康の六男であった悲劇の松平忠輝など歴史的なお話が満載。また、上諏訪商店街の昭和の匂いたっぷりの看板建築のこと、立川流と大隈流の大工同士の確執の話など興味深い話もたっぷり楽しめます。

 もう一方の三沢の方は、本当に気にしていなければ通り過ぎてしまうだけの地域に、これだけ歴史や自然の見所があることを、示せるものです。これはまあ、フットパスガイドブックの真骨頂であるわけですが、一つの挑戦でもあるのです。

 どちらも6月ごろにお披露目の予定。お楽しみに。

 

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まちミュー会報の取材:塩尻の宿場を歩く

 まちミュー諏訪では、今年度、会報方式のツアーパンフを作る計画があり、3月中には発行したいのですが、その取材をかねて、以前より興味を持っていた塩尻市の塩尻宿に行きました。塩尻の宿は、現在の中心市街地からはちょっと外れたところにあります。また主要な国道の20号線が、高ボッチの裾野のほうへ迂回しているので、昔の中仙道と三州街道の分去れは、伊那へ向かう国道の方にあり、その分去れから、中心市街地のはずれの大門のあたりまでが宿と言うことになります。

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 逆さですみませんm(_ _)m

 旧中山道は、国道を2回ほど横切るような形で、わき道に入ります。国道とはうってかわった静かな道には、史跡も残っています。堀内家住宅もそんななかのひとつ。立派な本棟づくりの大きな家です。一応門が開いていれば庭の中に入ることが出来、近くから見学することが出来ます。往時の名主の豪農ぶりがしのばれるところです。その道をまっすぐ突き当たると、阿禮神社です。この神社は素戔鳴尊(すさのうのみこと)、大己貴尊(おおなむちのみこと)、誉田別尊(ほんだわけのみこと)を祀る神社で、で、なかなか格式も高く、社叢もしっかりとあり、見ごたえのある場所です。ここで道は枡形となり、国道に合流し、しばらくは平行します。このあたりからは、宿場の裏道が風情が残っています。酒屋の古い煙突や、ちょっとした祠など、そんなものを味わいながら、歩くといい感じ。

 甲州街道が国道から分かれるので、そちらに行くと永福寺があります。ここは木曽義仲ゆかりの寺で、義仲が信仰していた馬頭観音を祀ったと伝えられています。そのちょっと先で今度は三州街道が分かれます。こちらは今のJRみどり湖駅を通って善知鳥峠へと続きます。こちらには青木家住宅(建物はなく、大木だけが名残ですが)があり、これも、見所の一つです。

 甲州街道は国道20号にぶつかるまで、なんとも侘しい感じのいい道、三州街道も善知鳥峠までの集落の間をとおる道が、鄙びていて、フットパスには最適な道になって今います。

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ヤギ小屋 改造が完成

  今年度の予定として計画していたヤギの飼育。いいヤギがおらず、実現までいたりませんでしたが、その小屋は、用意していたわけで、なんとか完成いたしました。

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  3年前くらいに作った、ヒツジ小屋を改造して、作ったのですが、ヤギは寒さに強くない(ヒツジほどと言う意味)ので、断熱材を壁のあいだに入れました。といっても、市販のものではなく、ヒツジの毛です。毛刈りをして貯めてあったものを入れ、壁を作りました。

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 間柱を入れて、ガラ板で塞いだだけですが、中には羊毛の断熱材で、結構あったかいのではと思いまうす。今年いいヤギが見つかりそうですので、そうしたら、いい住処になると思いまうす。

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お前は既に死んでいる;状態か? 「日本人は民主主義を捨てたがっているのか」  想田 和弘

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   あの「精神」「演劇」「選挙」と一連のドキュメンタリーを撮った監督が、特に「選挙」の撮影現場から痛感していたことを文章にしたためたものだ。ブックレットという簡単なものではあるが、中身は非常に濃い。 民主主義というのは、結構大変で、それにまともに付き合うということは、忙しい仕事を持っていたり、生活していくのに精一杯だったりすると、そんなことはやっていられないことでもある。もちろん、それほどではなくても、余暇を過ごしたり、楽しく楽に暮らしたいというところに流れがちなのが、楽なことを覚えてしまった現代人にはありがちだ。まあ、そういったことに付け込んででいるのが、高度資本主義における権力者の目の付け所ではあるのだが、まあ、おいしいものをばら撒かれて、いいようにやられちまってるというのが、正直なところだろう。            

 

 筆者は、「人はみな平等」であるという思想が、「首相は私たち庶民と同じ凡人でいい」という思想に直結しているような状況が、現在の状況であるといっている。そのことは、いわゆる衆愚政治に結びつくわけで、「みんな無知でいようぜ、楽だから」というのが、一種のイデオロギーとして一人歩きしており、政治家のレベルが低いことを、無意識のレベルで熱望しているのが、今の状況だというのだ。そしてそれを誘発しているものは、「消費主義」という悪しき現代病だ。とにかく、生産する(まあ、これは「身の回りのことはできるだけ自分でやる」というようなことと同意だ)ことから遠く離れてしまって、すべてが「消費する」という視点から再構成されているのが現代であり、そこにいることは居心地がよく、楽なのだ。 これを、本書でも言われているように、消費資本主義とよぶならば、やはり、おまかせ民主主義は消費民主主義と呼ばれても、しかたないことだと思う。私は、消費資本主義と明確に結びついているのが、マーケティングだと思っており、そのことによって、政治がテレビだとかネットだとかを利用して、刺激的な言葉「アベノミクス」だとか「大阪都構想」なんていうものをたれ流すことにつながっていくのだ。

 その結果、有権者は消費者として、政治というサービスを、票と税金で「購入」し、不具合があれば、クレームをいい、「私らお客を煩わさないで、面倒だから誰かが決めてよ、気にいったら買ってあげるから」という態度につながるわけだ。そして気に入った「買い物」がない時には買わない=投票しない=低投票率ということになるわけだ。この根は深い。そして、対策などないようなものなのだ。

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JRダイヤ改正に伴って・・・

 JRの春のダイヤ改正があり、時刻表は特にそれほど変わっていなかったのだけれど、列車構成に大幅な変更があった。

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 こんな感じの列車が、特に3両編成の際に走るようになった。というか、これに変わってしまったようだ。中は、

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 こういったロングシートになってしまった。こうなると、今までのボックスシートが懐かしい。まあ、山手線や高尾以東の中央線の電車のようで、これで、都会っぽくなったなんて思う人もあるかもしれない。が、ドアは半自動式で乗客が開ける。今までの室温保持のため、ちょrっと隙間が空いてたより、きちんと閉まってされて、具合は良さそうだ。

 情緒という、曖昧な言い方だが、そういうものがなくなった。乗客の方は、もう馴染んでいた。そんなものなのだろう。私は、結構ショックだった。これじゃ車窓を眺めながら、何か食べるなんて、できそうにない。これって輸送力アップだとか、そういった都合なのだろうけど、味気ない感じがする。

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「もうひとりの息子」イスラエルとパレスチナ:憎しみときれいごと

 赤ん坊の取り違え事件に端を発する物語と言うことで、是枝監督の「そして、父になる」のドジョウねらいのようにも見えてしまう作品だ。まあ、そうでなくとも、狙った公開時期なんて思ってしまう。

 が、しかし、似て非なるものなのだねこれが。「そして、父になる」のほうは、どちらかと言うと「個」的な問題、さらに言うと極私的な感情の流れや、ちょっとモラトリアム的な気づきのようなものを主体にしていた映画だった。

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これに対して、「もうひとりの息子」のほうは、社会的なアイデンティティのゆらぎを深く掘り下げたもの。なんと言っても、取り違えられた赤ん坊は、ユダヤ人とアラブ人(パレスチナ)なのだから・・・。それもイスラエルで。お互いに憎みきれないほど憎みあっている、そんな家族が赤ん坊取り違え事件に巻き込まれる。その問題解決の方向は、映画らしい、きれいごとになっているわけで、そのあたりは仕方ないちゃあ、仕方ないのだけれど、まあ、そのことをきっかけに、二つの家族がわかりあうための努力を始めちゃう・・・そういうところで映画は終わっている。

お母さん同士は、すぐ仲良くなるのだけれど、お父さんたちは主義主張があまりにんも異なるがゆえにけんかになってしまう。まあ、「男は駄目だ」と言うある意味真実っぽいテーゼもちらちら見せてくれる。若者はすぐ打ち解けてそれぞれの選択を自分たちの成長と結び付けていく。ここらはそういう演出、ありがちな演出なのだけれど、曖昧な感じで濁していく。たぶん日本では作れない、そういう作品なのだ。是枝作品は甘っちょろいわけではないが、一種独特の日本らしさで、ドメスティックな魅力をかもしているのかもしれない。僕はそれよりもこういった社会性を前面に出したものが好きだったりするわけで、まあ、いい映画だと言う感想に浸り、楽しんできたと言うことだ。

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 森達也 「A3」 僕らは江戸時代から変わってないのかもしれない・・・ということ

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 地下鉄サリン事件というのは、僕らにどんなことを残したのだろう。そしてその根源的な存在であるオウム真理教を、丹念に追った映像「A」「A2」、その続編として書かれた(当初は映像になるはずだった)のがこの「A3」だ。もちろん「A」「A2」を見ることが一種前提になっているのだが、オウム真理教と言うものが、この日本にもたらしたものは、恐怖であるとか不安であるとか言うことよりも、日本には人権思想というものが根付かなかったと言うあからさまな真実だったのだと言うこと、これに尽きるわけになる。どんな犯罪者にも人権が存在し、裁判を受ける権利、真実を明らかにし、適正な罰則を受ける権利と言うものがあるのに、大衆の「早く吊るせ」というまるで三条河原の見物人のような、また、中世に立ち戻ったかのような、そんな雰囲気に満ち満ちているのが、オウム後の日本だと言う。

確かにあのときは異常だった。オウム真理教信者の住民登録を拒否する自治体、これなどは誰が考えても「憲法違反」であった。また、「オウムは出て行け!!」的なシュプレヒコール。オウムの信者の住む場所に、押し寄せる一般ピープルは60年安保よりも強烈だ。

そして、あの事件の後、日本は警察や検察の捜査権力は強化され、司法は厳罰化へと動き、マスメディアは不安と恐怖を煽れば視聴率があがるという市場原理に突っ走った。さらに、こういった公の場で精神が瓦解するのを放置してきたその主体は、司法とかメディアでなく、日本社会そのものの構造に織り込まれていたという恐ろしい事実なのだ。特定機密保護法案しかり、個人情報保護法ですら本質的な部分は、異端の弾圧以外の何者でもないのである。もちろん、そのことを訴えようとした、森達也自身も仕事から、報道の現場から干されることになったのだ。この同調圧力と呼ぶべきものはあまりにも巨大で、どう闘っていいかわからないほどだ。そういうこともよくわかる。

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次のガイドブック 校正中

 次のガイドブックが続々出来上がってきています。控えるのは、辰野町シリーズ。辰野町・塩尻市にまたがる、初期中山道の小野宿。それと、日本最古と言われる道祖神がある沢底。この2冊です。小野の方は、とにかく歴史があふれる、郷土史ファンには垂涎の1冊に。沢底の方は、懐かしいいにしえの古道に沿った石仏群や、由緒ある神社など、外の諏訪と言われていることに恥じない、ラインナップです。

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 4月に書店に並べるべく、現在奮闘中です。買ってね!!

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まちミューツアーコンシェルジュ 実地研修 in 甲斐市

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 まちミューツアーの案内人兼司会であるコンシェルジュの見学研修に行ってきました。研修先は実際のツアーです。ママフットとして活動している山梨県の甲斐市のグループ。女性だけのグループで「つなぐ」NPOの方法論に忠実にやっている模範的なグループということで、まさに至れり尽せりのないように感服して帰ってきました。気が付いたことを羅列してみると。

①スピーカーの出力が小さいと聞きづらい。なので、ガイドとコンシェルジェとで一つずつスピーカーセットを使用。元は一つのものでマイクで対応していたが、2つに分けた.

②メンバー この日は4名。ガイド1名の5名体制。コンシェルジェはツアーごとに交代し、全員が対応できる。

役割固定はしない。

③ガイドブックに載っているようなことは、ガイドは紹介せず、コンシェルジュが説明。掛け合いも絶妙、息が合っている印象。

④昔の写真、説明の補足的な資料はコース道順でファイルにしてある(たとえば、冥界で死者の罪業を裁判する十王の説明の際に、前もって見つけておいたイラストの拡大版を示す など)。このファイルはスタッフがかかげてガイドを補佐する。

⑤コース途中の休憩場所でのお茶の用意。地元のお店を巻き込んでの特産物的な食べ物の提供(この日は甲斐市で取り組んでいる 桑の葉の入った蒸しパンと桑の実ジャム、桑の葉茶)。販売の案内もしたので、購入者あり。

⑥お寺などでは、住職さんのお話を用意してあった。この日は、法事で忙しいため、あらかじめ録音していたものを再生。

⑦記念の集合写真を撮影し、後ほど郵送とのこと。

⑧普段はカギがかかっている場所、滅多に公開していない場所をあけてもらって、“特別”に見ることが出来る。→ その日は特別感を出す。この日は、a.死者の裁判をする十王像の安置してある場所 b.レストランに併設してあるコンサートホールのパイプオルガン。

 

こんな感じで、すごい!!の一言。女性ならではのこまやかな心づかいで満載でした。

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毎年恒例 仔ヒツジの出産ラッシュがはじまった

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 毎年恒例の年中行事になりつつある、仔ヒツジ出産シーズンがいよいよ開幕です。今年は、種付きが悪く、お母さんになりそうなのは、4頭です。最初の一頭は教科書どおり、単独行動(一頭だけでぽつんと離れて座っていたり、小屋にこもっていたり)が始まって3日くらいでの出産です。オス・メス一頭ずつの双子で、メスのほうがちょっと小さく、心配しましたが、何とか育ちそうです。このあと、もう一頭もおなかが垂れ下がりお乳が張ってきてますので間近でしょう。そのあとは4月ごろになりそうです。とりあえず、かわいい仔ヒツジちゃんたちをアップしておきます。

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2014元気づくり支援金 ヒアリング

 大雪の影響がいつまでたっても残りそうな中、予定されていた長野県元気作り支援金のヒアリングが行われました。今年で3年目となる申請で、まあ卒業しなければなりません。来年度は6冊のガイドブック作成と、ライターの養成を目指します。このガイドブックが完成すると、自費作成分もあわせて諏訪地方で18種類のガイドブックが出来上がることになります。これは影響力という点ではなかなかすごい展開担っていきます。この2年間の活動についても、それなりの評価もいただき、今後長野県全体へと、活動エリアを広げていく計画もあります。とにかく忙しくなりそうな気配が濃厚です。がんばらねば・・・!!

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当たり前だけれど、言葉は文化だ!! 「ピダハン」

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「ピダハン」というのは、ブラジルのアマゾンの奥地に住む先住民族で、400人ほどの人口しか持っていない。しかし、この民族は、独特の言語と文化をもっている。数という概念がない。そこにあるものを相対的に比べて大きい、小さいというような言葉で表すのだ。ある場合は大きくとも、別のものと比べると小さくなる。そんな具合だ。また、「こんにちは」「ありがとう」というような挨拶にあたる言葉もない。そういったことはすべて行動であらわすのだ。また言語の話とは少し違うのだが、2次元描写を読み解くことも苦手だ。これらがあらわしているのは、こういったことが、背景にある文化と密接にかかわっている能力だということなのだ。人間の認知という、今まで備わっていた能力≒いわゆる本能と思われていたもののひとつが、文化から出た、言ってみれば後付けだったということが明らかになったわけだ。

彼らの文化が持つ誇りもすばらしい。直接彼らが体験したり、体験した者が話す言葉以外は、すべて疑わしい本当にあったことではないこととして扱われる。それゆえ、ピダハンには創世神話のようなものはない。自分の知っている誰々が実際に体験した話みたいなのがせいぜいなのだ。この著者は伝道師として赴任するのだが、キリストの話は彼らに鼻で笑われるようなものなのだ。実際に著者が見たことでないがゆえに。そんな西欧人にとっては、自己の存在を揺るがすような布教活動のすえ、著者の人生まで代わってしまう。実際に信仰から離れ、家族とも別離があったようだ。

またあの9.11以降注目を浴びたチョムスキー(彼はもともと言語学者なのだ)らが打ち立てた「言語本能」「普遍文法」という法則でさえ、揺るがされる。さらに西欧的な真実を追究する行為などは、ピダハンによれば「曲がったあたま」と呼ばれるわけだ。衝撃的だ。人間とは何か?ということは、こういった方面からも揺るがされるわけだ。

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