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 森達也 「A3」 僕らは江戸時代から変わってないのかもしれない・・・ということ

A3_2


 地下鉄サリン事件というのは、僕らにどんなことを残したのだろう。そしてその根源的な存在であるオウム真理教を、丹念に追った映像「A」「A2」、その続編として書かれた(当初は映像になるはずだった)のがこの「A3」だ。もちろん「A」「A2」を見ることが一種前提になっているのだが、オウム真理教と言うものが、この日本にもたらしたものは、恐怖であるとか不安であるとか言うことよりも、日本には人権思想というものが根付かなかったと言うあからさまな真実だったのだと言うこと、これに尽きるわけになる。どんな犯罪者にも人権が存在し、裁判を受ける権利、真実を明らかにし、適正な罰則を受ける権利と言うものがあるのに、大衆の「早く吊るせ」というまるで三条河原の見物人のような、また、中世に立ち戻ったかのような、そんな雰囲気に満ち満ちているのが、オウム後の日本だと言う。

確かにあのときは異常だった。オウム真理教信者の住民登録を拒否する自治体、これなどは誰が考えても「憲法違反」であった。また、「オウムは出て行け!!」的なシュプレヒコール。オウムの信者の住む場所に、押し寄せる一般ピープルは60年安保よりも強烈だ。

そして、あの事件の後、日本は警察や検察の捜査権力は強化され、司法は厳罰化へと動き、マスメディアは不安と恐怖を煽れば視聴率があがるという市場原理に突っ走った。さらに、こういった公の場で精神が瓦解するのを放置してきたその主体は、司法とかメディアでなく、日本社会そのものの構造に織り込まれていたという恐ろしい事実なのだ。特定機密保護法案しかり、個人情報保護法ですら本質的な部分は、異端の弾圧以外の何者でもないのである。もちろん、そのことを訴えようとした、森達也自身も仕事から、報道の現場から干されることになったのだ。この同調圧力と呼ぶべきものはあまりにも巨大で、どう闘っていいかわからないほどだ。そういうこともよくわかる。

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