お前は既に死んでいる;状態か? 「日本人は民主主義を捨てたがっているのか」 想田 和弘
あの「精神」「演劇」「選挙」と一連のドキュメンタリーを撮った監督が、特に「選挙」の撮影現場から痛感していたことを文章にしたためたものだ。ブックレットという簡単なものではあるが、中身は非常に濃い。
民主主義というのは、結構大変で、それにまともに付き合うということは、忙しい仕事を持っていたり、生活していくのに精一杯だったりすると、そんなことはやっていられないことでもある。もちろん、それほどではなくても、余暇を過ごしたり、楽しく楽に暮らしたいというところに流れがちなのが、楽なことを覚えてしまった現代人にはありがちだ。まあ、そういったことに付け込んででいるのが、高度資本主義における権力者の目の付け所ではあるのだが、まあ、おいしいものをばら撒かれて、いいようにやられちまってるというのが、正直なところだろう。
筆者は、「人はみな平等」であるという思想が、「首相は私たち庶民と同じ凡人でいい」という思想に直結しているような状況が、現在の状況であるといっている。そのことは、いわゆる衆愚政治に結びつくわけで、「みんな無知でいようぜ、楽だから」というのが、一種のイデオロギーとして一人歩きしており、政治家のレベルが低いことを、無意識のレベルで熱望しているのが、今の状況だというのだ。そしてそれを誘発しているものは、「消費主義」という悪しき現代病だ。とにかく、生産する(まあ、これは「身の回りのことはできるだけ自分でやる」というようなことと同意だ)ことから遠く離れてしまって、すべてが「消費する」という視点から再構成されているのが現代であり、そこにいることは居心地がよく、楽なのだ。 これを、本書でも言われているように、消費資本主義とよぶならば、やはり、おまかせ民主主義は消費民主主義と呼ばれても、しかたないことだと思う。私は、消費資本主義と明確に結びついているのが、マーケティングだと思っており、そのことによって、政治がテレビだとかネットだとかを利用して、刺激的な言葉「アベノミクス」だとか「大阪都構想」なんていうものをたれ流すことにつながっていくのだ。
その結果、有権者は消費者として、政治というサービスを、票と税金で「購入」し、不具合があれば、クレームをいい、「私らお客を煩わさないで、面倒だから誰かが決めてよ、気にいったら買ってあげるから」という態度につながるわけだ。そして気に入った「買い物」がない時には買わない=投票しない=低投票率ということになるわけだ。この根は深い。そして、対策などないようなものなのだ。
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