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「本当はひどかった昔の日本」で回顧趣味に一撃

 タイトルと表紙イラストが、よくあるトンデモ本っぽいのですが、いやなかなか、古典をかなり読み込んでいることが伝わってくる非常に面白い本でした。巻末にあるリストから、古典への旅を始めてみるのも、面白そうです。
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 それでも内容的には、現代受けしそうな、センセーショナルな分類でくくられています。たとえば、大阪で起きた育児放棄による子供を放置して死に至らしめたあの事件です。この事件と間引きや子殺しが日常的に行われていた江戸時代中期以前を比べています。捨て子が誰にも拾われず、犬に食われてしまうという、「人は犬に食われるほど自由だ」というパルコの広告にあった、ちょっと前のインドのような状況が繰り広げられていたことをさまざまな古典から類推しています。まあ、それがひどかったという感じで。このへんは、少年犯罪などもあわせ、今の感覚で、マスコミにあおられている私たちがいるわけですね。

 で、こういったことで、「昔はよかった。今はひどい世の中だ。」よいうような懐古趣味にくぎをさすわけなのです。といっても、強力にと言うわけではなく、なにげになのですけれど・・・。そして、そんな例証の中に、ちょっとした真実も入れ込んであります。たとえば、皇太子がかつて結婚相手の条件として挙げていた「美しいものを見たときに、それを美しいと評価できる人」と言うのがありました。これは決して、その場で思いついたものではなく、権力の血筋を重ねる中で、美しさへの感度が上がっていき、センスは洗練されていく事から、発せられた言葉だと言います。本当に美しいものが何かがわかる人が一流とされ、もはや在りし日の権力がなくなった後も、「美しさのわかる人」でなければならないという、一種の掟をしっかりあらわしているのです。これって、宮崎駿の「風立ちぬ」とも、リンクする考え方だと思います。 

 そんな真面目な考察もたっぷりありますが、「本朝文粋」と言う古典の中にある、「鉄槌伝」という暗喩でエロスを語ると言う、あまた世界水準である手法の文章も、語っちゃいます。といく原動力となっていったわけです。この原文は漢文なので、それなりの素養が無ければ読めないものですが、鉄槌氏という人物が語っていると言う設定で、「男根論」を語らせているものです。これなど、風来山人(平賀源内のペンネエーム)の「萎陰隠逸伝」(なえまらいんいつでん)へと通じる、日本的エロスの草分け的な存在です。もちろん彼女の別著「愛とまぐわいの古事記」にもつながるものなんです.

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